「海軍・海兵隊艦載機戦闘報告書」に記された事実
 
 アメリカ軍が日本に対して行った空襲について記録されたアメリカ側の資料は様々な機関による各種のものが存在する。その中でも特に有名なのがB29による空襲についてアメリカ軍が記述した「作戦任務報告書(Tactical Mission Report)」と題された文書である。これは爆撃を行った当事者によって記述された第一次資料であり、その後の戦略爆撃調査団が作成した報告書も、この任務報告書に拠っている。
 その文書を見ると「機密(confidential)」の文字が付されているが、アメリカの規定により25年を経て機密が解除されて公開され、さらに1981年の5月末には国立国会図書館の憲政資料室にその全巻を写したマイクロフィルムが所蔵されるに至り、誰でも簡単に閲覧できるようになっている。
 この資料は、空襲についての日本側の資料の不明な部分を補うものであり、その公開以前より各地の「空襲・戦災誌」の中において、その空襲の事実を客観的に裏付けるものとして引用されてきている。また、近年では、1995年には小山仁示によって「作戦任務報告書」をもとに簡潔に概要が記述された「作戦任務要約(Mission Summary)」「作戦任務概要(Mission Resume)」を訳出した『日本空襲の全容』(東方出版)が出され、さらに2001年には奥住喜重が新資料を加えて『八王子空襲の記録』(揺籃社)を出し、現在でも一級の資料として研究が続けられている。
 しかしながら空襲はB29のみにより行われたわけではない。占領後の硫黄島や沖縄を基地としたP51やB24、そして日本近海を遊弋し始めた空母から発進したF6Fなどの艦上機によってもなされている。小型機による空襲の特徴は、爆弾の投下ばかりでなく、駅舎や走る列車、そして逃げまどう人々に対しても銃撃を加えていることにある。襲われた人は一様にそのパイロットの顔まで見え、爆弾とはまた違った恐怖心を抱いたと証言している。
 B29の「作戦任務報告書」と同様に、これらの機種による空襲についてもアメリカ軍は膨大な記録を残している。しかしながら、B29の空襲に比べて被害の度合いが低いためか、あるいは国立国会図書館憲政室にマイクロフィルムが所蔵されたのが1997年と最近のことであるためなのか、本格的に一次資料として引用したり、研究の対象とした文献は皆無に等しく、寡聞にして石井勉による『アメリカ海軍機動部隊』(成山堂書店 1988)しか知らない。
 石井のこれは、アメリカ海軍機動部隊の航空母艦より飛び立った艦上機による空襲についてのアメリカ軍側の記録である「戦闘報告書(Action Report)」を訳出したものである。扱っているのは7月2日から8月15日までの「日本本土に対する作戦(OPERATION AGAINST THE JAPANESE HOME ISLAND)」であり、特に1945年7月14日、15日の二日間にわたって行われた北海道及び本州北部に対する空襲については、個々の任務部隊の「航空機戦闘報告書(Aircraft Action Report)」が全文にわたり収録されている。
 
 大月空襲は、先に述べたように様々な証言と遺物、新聞報道から判断して艦上機によるものと思われる。そこで、石井勉の前掲書を参考に、国立国会図書館に出向き、マイクロフィルムに転写された膨大な「太平洋戦争 海軍・海兵隊 艦載機戦闘報告書(The Records of the Carrier-Based Navy and Marine Corps Aircraft Action Reports, 1944-1955)」を読むことにした。
 
 「海軍・海兵隊艦載機戦闘報告書(1944-1955)」は航空母艦名のABC順に編成され、二種類の報告書から構成されている。
 一つは「戦闘報告書」であり、航空母艦の全作戦の簡潔な概要・戦力配備・対日攻撃報告・使用兵器量及び損害、死傷者のリスト・勧告を伴う作業分析を備えている。もう一つは個々の作戦任務ごとにその任務に従事したものの手により作成された「航空機戦闘報告書」である。こちらは、一つの作戦につき5枚綴りの報告書であり、中身は13の大項目に分かれていて、報告部隊名、発進母艦名、日時、任務、参加機数及び装備、機体の損害、目標物への攻撃の概要、戦術と作戦についてのコメント等、書式が決められた中に数値が記入され、その概要が記述されている。
 
 まず最初に、マイクロフィルム検索用目録で空襲を受けた地名別索引により山梨県の項を調べたが、" No reports "と一行記されているだけであった。つまり、山梨県への艦載機による空襲は、この米軍資料では分類上無い事になっている。しかしながら、索引の中でも " Other places and/or unidentified places in Japan " として分類されている項もあり、その中に埋もれている可能性や、第二、第三目標として第一目標の陰に隠れて小さく記載されている可能性もある。そこで、8月13日に関東地方及び静岡、長野方面に出撃した飛行隊の報告書を抽出し、マイクロフィルムに転写された「航空機戦闘報告書」を一通ずつ読むこととした。
 「目標到達時刻(Time Over Target)」をたよりに、午前中に作戦行動をとったものを選び出し、実際の「目標と位置(Targe(s) and Location(s))」や作戦についての「結果(RESULT)」や「コメント(comment)」を吟味していき、ようやく一本の「航空機戦闘報告書」にたどりついた。第38機動部隊第3任務群に属する空母(CV9)エセックス(ESSEX)より発進した第83飛行隊群のものである。
 
 エセックスの「日本本土に対する作戦(OPERATION AGAINST THE JAPANESE HOME ISLAND)」についての「戦闘報告書」に綴じられている日表で確認すると、8月13日には東京地区への攻撃(Strike Against TOKYO Area)に従事していることがわかる。*1
 この「戦闘報告書」に続いて、各任務ごとに「航空機戦闘報告書」が付せられている。その「航空機戦闘報告書」の8月13日の日付の一通に地名は特定できないが、明らかに大月を空襲した記述を読みとることができたのである。*2
 これによると、第83飛行隊群は1945年8月13日午前5時55分に、北緯35度17分、東経143度16分、房総半島沖東およそ200キロの地点から発進している。攻撃目標は川崎にある東京芝浦電気となっている。
 しかしながら報告書を最後まで読み進んでいくと、第一目標の東京芝浦電気一帯は厚い雲に覆われていて攻撃が不可能だと判断し、西へ旋回し、たまたま雲の裂け目から見えた工場地域とダムへの攻撃を行ったとの記述に至る。
 その部分を原文に日本語訳を付して引用する。
 
 XI. ATTACK ON ENEMY SHIPS OR GROUND OBJECTIVES  (o) RESULTS:
  The identity and location of the target are not known. The assigned target and all alternates were completely closed in. Attack on the above factory and dam was made when it was seen through the only hole in the overcast. It is believed that it may have been in the town of TOMIHAMA southwest of TOKYO. Three VBF planes did not drop on the target. Two jettisoned and one returned his bomb to base. One VB failed to release.
  Damage assessment is not possible though one large explosion and a column of black smoke 1000 feet high were observed.
 
 XI. 敵艦船または地上目標に対する攻撃 (o) 結果
 攻撃目標の名称及び位置については不明である。指示された攻撃目標及び全ての代替目標は完全に雲に閉じこめられていた。上記の工場及びダムに対する攻撃は、曇り空のわずかな裂け目を通して見えた時に行われた。そこは、東京の南西に位置する、富浜町であると思われる。3機の戦闘爆撃機は、攻撃目標に対して爆弾を投下しなかった。2機は爆弾を投棄し、1機は母艦に持ち帰った。1機の戦闘爆撃機は、投下に失敗した。
 一つの大きな爆発と1000フィートの高さまで登る黒い煙の渦を認めることができたが、損害の評価は不可能だった。
 
 
 XII. TACTICAL AND OPERATIONAL DATA.
  Lt. Comdr. STEWART of VT-83 was the leader of this strike group composed of ESSEX, BATAAN, and MONTEREY planes. The primary target was the TOKYO SHIBAURA ELECTRIC PLANT #1 in the KAWASAKI area. Approach was planned through a point south of CHIBA peninsula thence west through SAGAMI NADA and north to a point west of KAWASAKI. The run-in was to be from the west with pullout over TOKYO BAY and retirement east and south east, avoiding AA positions, to rally five miles east of KATUURRA POINT. On approach the whole target area was seen to be solidly overcast so the flight circled left and went west where holes in the overcast could be seen. Through a hole a large factory was seen alongside a river. Attack was ordered throught the hole and all planes attacked the factory or an adjacent dam across the river. Good hits were observed in the factory area and an explosion followed by a column of black smoke was seen as pilots pulled away. Retirement was made toward SAGAMI NADA where rendezvous was effected. Over but no damage was done.
  Efforts to establish the location of the factory and town were unavailing but it is believed that the target was at TOMIHAMA, a small town southwest of TOKYO at 35-37'N 139-00'E.
 
 XII. 戦術と作戦上の資料
 第83雷撃機隊のSTEWART少佐はエセックス、バターン、モントレーの飛行機部隊より構成されるこの攻撃部隊の指揮官だった。当初の攻撃目標は川崎地域にある東京芝浦電気だった。千葉半島の南の地点を通過し、そこから西に相模灘を進み、次いで北上して川崎の西の地点に出る、という接近方法が計画された。東京湾上を水平飛行で侵入し、対空砲を避けながら東、もしくは南東へ退却し、勝浦の東5マイルに再結集する。接近した時、目標地域全体は厚い雲に覆われていたようだった。そこで、左に旋回し、雲の裂け目が見えた西方へ進んだ。雲の裂け目から、川に沿って大きな工場があるのが見えた。裂け目を通しての攻撃が指示され、全ての飛行機は工場または川を横切るようにしてある近接するダムに対して攻撃を行った。工場地域に命中するのが認められ、一つの黒い煙が巻き上がるのに続いて爆発するのを、パイロットは退却しながら見た。退却は相模灘方面へ行われ、そこで集合が行われた。損害もなく終了した。
 工場及び町の位置をはっきりと定めようと努めたがかなわなかった。しかし、そこは、北緯35゚37'、東経139゚00'に位置する、東京の南東にある小さな町、富浜であろうと思われる。
 
 
 その文中において、第83飛行隊群は、場所をはっきりと特定する事を避けているが、北緯35度37分、東経139度0分に位置する「TOMIHAMA(富浜)」ではないかと書いている。
 北緯35度37分、東経139度0分に富浜町は確かに存在する。しかし、8月13日に空襲を受けた記録は無い。また報告書に述べられているような大きな工場とよべるような構造物も少なく、ダムも無い。
 富浜町の近くで、「川に沿って大きな工場」があり、それに「近接するダム」があるのは富浜町より6キロ東の大月町以外に無い。そして、「一つの黒い煙」が立ち上ったという報告も、大月空襲により火災発生は大月駅西方の一カ所だけであるという証言とも一致する。おそらく、この報告書は大月に対する空襲のものであることは間違いないと思われる。
 ただ、目標到達時刻は7時40分から8時10分とあり、様々な証言や文献が示す、空襲開始時刻の8時20分と食い違いを見せる。
 
 大月への空襲を行ったのは、エセックスを母艦とする飛行隊群だけでなく、エセックスと同じく第38機動部隊第3任務群に属する軽空母(CVL26)モントレー(MONRTEREY)を母艦とする第34飛行隊群と(CVL29)バターン(BATAAN)を母艦とする第47飛行隊群も加わり、合同で作戦行動をとっている。
 先ほど述べたように、「航空機戦闘報告書」は各母艦ごとに編成されているから、バターンとモントレーの各隊群の大月に対して行った空襲の報告書も存在するはずである。バターンについてはあったものの*3、モントレーの報告書は5月13日から20日までの沖縄攻撃のものがあるだけで、その前後は欠落していた。*4三通の報告書がそろえば、作戦の全容について正確に知ることができたのにまことに残念である。しかしながら、エセックスとバターンの報告書が二通あることから、両者をつき合わせてみることにより、かなりの程度まで攻撃の有様をうかがい知ることができる。
 同じくバターンのその部分を原文に日本語訳を付して引用する。
 
 XI. ATTACK ON ENEMY SHIPS OR GROUND OBJECTIVES  (o) RESULTS:
(1)(2) Assigned target was closed in, making an effective coordinated attack impossible. Consequently the ESSEX leader ordered the strike group to drop their bombs on an unidentified factory in the vicinity of Hachioji or Atsugi. The location of the factory could not be determined accurately. Damage could not be assessed but big fires were started.
 
 XI. 敵艦船または地上目標に対する攻撃 (o) 結果
(1)(2)指示された目標は雲に閉ざされていて、効果的に構成された攻撃が行うことを不可能にした。したがって、エセックスのリーダーは八王子もしくは厚木近郊にある名の知らぬ工場への爆弾投下を攻撃隊に指示した。工場の位置についても正しく定めることができなった。損害程度は評価できなかったが大きな火災が発生した。
 
 XII. TACTICAL AND OPERATIONAL DATA.
  This strike had been ordered to bomb the Tokyo Shibaura Electric Co. (Target 496). There was ****<some>*5 uncertainty as to whether strikes would go out or ***<not> as the United Nations were awaiting Japan's answer regarding surrender terms. At 0011 the strikes for the day were called off. Pilots scheduled for CAP manned ready-room at 0315 and it was soon announced that the day's strikes were again planned.
 
  The BATAAN's planes took off at 0555 and rendezvoused with ESSEX and MONTEREY Groups. The strike group flew south of TOKYO and turned Northward over Sagami wan, passing East of Mt. Fuji. The Yokohama Kawasaki area, where the assigned target was located, was closed in with a coiling which appeared low enough to prevent an effective coordinated attack on the pin point target. Consequently the ESSEX leader ordered all planes to bomb a factory believed to be located near Hachioji or Atsugi. The clouds obscuring the targets made it impossible for pilots to identify the target definitely. Bomb hits in the area started big fires, according to pilots of the Torpede Squadron.
 
 XII. 戦術と作戦上の資料
この攻撃は、東京芝浦電気に対する爆撃が指示されていた。(攻撃目標496)
国連が降伏条件に関する日本の回答を待っているので、攻撃が中止になるかどうかは、はっきりとわからなかった。0100時、その日の攻撃は中止となった。0315時、対空哨戒のために予定されていたパイロットたちは待機室に集合し、直ちに、その日の攻撃が再度計画されたことを告げられた。
 
0555時、バターンの飛行機が発進し、エセックスとモントレーの飛行部隊と合流した。攻撃部隊は東京の南方を飛行し、相模湾上を北方へ進路を変え、富士山の東側を進んだ。指示された攻撃目標のある横浜、川崎地区は渦を巻いた雲に閉ざされていた。低くたれ込めていた雲は、小さな目標に対する効果的に構成された攻撃を妨げていた。その結果、エセックスのリーダーは全てのパイロットに、八王子または厚木の近郊と思われる工場を爆撃するように指示した。雲が目標を曖昧にしたため、パイロットたちは攻撃目標を正確に同定することができなかった。雷撃隊のパイロットによれば、その地域に投下された爆弾により大きな炎が上がったということだ。
 
 
 バターンの報告書の中では、「エセックスのリーダーは八王子もしくは厚木近郊にある名の知らぬ工場への爆弾投下を攻撃隊に指示した」とあり、その指示の下に爆弾を投下したことが書かれている。八王子と厚木では約25km離れている。大月から二つの都市まで約40kmもの距離がある。あまりにも離れすぎてはいないかと思われるが、最高速度600kmを誇るグラマンにしてみれば、雲上で攻撃目標を策敵していれば、あっという間に飛行してしまう距離である。
 また、目標到達時刻については、バターンでは8時20分から8時40分となっている。様々な証言や文献のほとんどが学校の始業少し前、8時20分頃より空襲が始まったとあることに一致する。
 
 以上のように二通の報告書を合わせてみると、同じ場所を同時に攻撃しているのに、場所と時刻を特定する際に食い違いを見せる。さらに証言と大きく違うのは天候である。多くの人々が当日の天気を「晴れ」と言う。報告書は曇りである。
 来襲した航空機の機数と投下爆弾数を割り出す前に、この報告書が「大月空襲」のものであることの論拠を少しでも明らかにするためにもこれらのことについて考察しておこう。
 まず場所であるが、八王子と厚木の近郊でダムがあり川に沿って大きな工場があったと思われる場所として、1940年に着工し、1944年12月に満水となった相模湖、1938年に着工し、1957年11月に完成した奥多摩湖があるが、8月13日に空襲を受けた記録は無い。このことから、報告書中にあるダムとは利水や治水のために水を堰き止めたものではなく、富士吉田から大月を経て相模湖に至る桂川(相模川)沿いにいくつか見ることのできる水力発電施設を指すのではないだろうかと考えられる。そして、これらの発電施設についても駒橋発電所と川茂発電所を除いて爆撃を受けた記録は残っていない。
 貯水池から発電所まで落差100mあまりに敷設された4本の導水管を有する駒橋発電所をダムと呼称した可能性は強い。
 時刻については、モントレーの報告書が存在すれば、よりはっきりと確定できるのであるが、この二つのものだけではいかんともしがたいものがある。しかしながら、三隻の空母を母艦とするそれぞれの飛行隊群は合同し、一つの任務隊群として作戦を実行していることから、どちらかが時刻を間違えて報告していることだけは確かであろう。
 最後に天気についてであるが、多くの人々の言う「晴れ」が、どの程度の晴れなのかがわからない。「雲一つ無かったですか」と問えば、「雲は一つも無かった」と答え、「本当ですか」と問うと、「雨は降っていなかった」と言い直す。おそらく半年以上もB29の銀色に輝く機隊を青く澄んだ空に見てきたせいで、昼間の空襲は晴れた日に行われるものとの固定概念が形成されてしまったのではなかろうか。
 また大月特有の気象現象も考えられる。夏の日の朝、大月では、西方を除いて周りを取り巻く1,000m近い山々には雲がかかっているのに、頭上だけ雲が無く青空が見えていることが多くある。そして、昼近くになるとそれらの雲も取れて一面の青空が広がる。
 固定概念、もしくはこのような気象現象に加えて、地上と雲上との視点の違いから「晴れ」と「曇り」の違いがでたのであろうと考えられる。
 
 以上、多少の誤差及び誤記はあるにしろ、時刻以外は説明のつくものであり、報告書に記載された町の概観と被害の様相、そして何よりも経緯の具体的な度数によってこのエセックス所属の第83飛行隊群が大月を空襲し、それと合同の作戦行動をとったとされるモントレー、バターンの飛行隊群も空襲に加わったと考えるのが妥当であろう。
 
 最後に、二通の「航空機戦闘報告書」にもとづいて来襲した航空機の機種と機数、そして投下した爆弾の種類と個数について考察しよう。
 
<飛来爆撃機の機種と機数>
 すでに述べたように、二通の航空機戦闘報告書を見ると、「大月空襲」を行ったのは、エセックスを母艦とする第83雷撃隊のSTEWART少佐をリーダーとする、第83飛行隊群(ESSEX)、第34飛行隊群(MONTEREY)、第47飛行隊群(BATAAN)の合同部隊であることがわかる。
 報告書の「U. OWN AIRCRAFT OFFICIALLY COVERED BY THIS REPORT.(本報告によるわが機の公式装備)」及び「V. OTHER U.S. OR ALLIED AIRCRAFT EMPLOYED IN THIS OPERATION(本作戦に従事した他の合衆国機または連合国機)」にもとづき、この三飛行隊群に所属する機種と機数をまとめると、以下の表の通りである。












 


 母艦
 


飛行隊群
 

機種及び機数

 戦闘機隊

戦闘爆撃機隊

 爆撃機隊

 雷撃機隊

ESSEX

  83

 F6F-5

4

 F4U-1D

8

SB2C-4E

12

 TBM-3

9

BATAAN

  47

 F6F-5

8

 

 

 

 

 TBM-3

7*6

MONTEREY

  34

 F6F-5

8

 

 

 

 

 TBM-3

9

合計
 


 

 F6F-5
 

20
 

 F4U-1D
 

8
 

SB2C-4E
 

12
 

 TBM-3
 

25
 
 四機種を合計すると65機の艦上機がこの作戦に従事したことになる。しかしながら、バターンを母艦とする第47戦闘機隊の4機については、撮影部隊として当初の攻撃目標であった東京芝浦電気(川崎)上空にとどまり他のグループによって攻撃が行われている間中、写真を撮影していたので、これを差し引き、そして航空機戦闘報告書の無いモントレー所属機については全機が来たと仮定すると、61機もの艦上機が大月周辺の上空に来たことになる。
 ただし、そのうちの第83戦闘爆撃機隊(ESSEX)3機と第83爆撃機隊1機(ESSEX)については、何らかの理由で爆弾を投下しなかったことが書かれている。
 
<投下爆弾の種類と個数>
 次に攻撃目標に投下した爆弾の種類と個数をまとめてみよう。これについても、モントレーの資料が欠如しているので、正確な数はわからないが、航空機報告書中の「XI. ATTACK ON ENEMY SHIPS OR GROUND OBJECTIVES(敵艦船または地上目標に対する攻撃)」をもとに、エセックス、バターンの2艦に所属する航空機が大月へ投弾した個数を種別ごとにまとめてみたのが以下の表である。


















 


母艦
 


 機種
 


 機数*8
 

爆弾投下数*7


 合計
 

250lb

500lb

1000lb

2000lb




ESSEX


 

F6F-5

   4

 

 

   4

 

   4

F4U-1D

   8

 

 

   5

 

   5

SB2C-4E

  12

  8

 

  11

 

  19

TBM-3

   9

 

 

 

   9

   9


BATAAN
 

F6F-5

   4

 

 

   4

 

   4

TBM-3

   7

 

  28

 

 

  28

    合計
 

  44
 

  8
 

  28
 

  24
 

   9
 

  69
 


















 
 これにモントレーの第34飛行隊群に属する戦闘機8機と雷撃機9機の爆装によって数字が変化してくる。戦闘機は1000lb爆弾を1個装備するが、雷撃機は2000lbまでの爆装が可能で、バターンの装備例が参考になると思われる。そうすると、モントレーの全機が爆装して来襲し、全機が投弾に成功したと仮定すると、上の表に以下の表が付け加えられる。














 


母艦
 


 機種
 


 機数
 

爆弾投下数


 合計
 

250lb

500lb

1000lb

2000lb


MONTEREY


 

F6F-5

   8

 

 

  8

 

   8


TBM-3
 


   9
 



 



   36


 
 

9

 

9

   36


合計

 

min

   max
 


  17

 


 

 



   36
 


  8

 

9


 

17

   44
 














 
 このことにより、爆弾の組み合わせもあるが、最小で86個、最大で113個もの爆弾が投下されたことになる。
 
<機銃掃射により消費された弾薬の種類と個数>
 最後に機銃掃射について述べよう。大月の市街地ばかりでなく、七保川沿いに、あるいは川茂発電所付近でも機銃掃射が行われている。機銃掃射については、航空機戦闘報告書の「VIII. RANGE, FUEL, AND AMMUNITION DATA FOR PLANES RETURNING(帰還機に関する巡航距離、燃料ならびに弾薬の資料)」にもとづいて次の表を作成した。


















 


母艦
 


 機種
 


 機数
 

1機あたりの銃弾数


  合計
 

  .50*9

  20MM




ESSEX


 

F6F-5

   4

   50

 

   200

F4U-1D

   8

  300

 

  2400

SB2C-4E

  12

 

  200

  2400

TBM-3

   9

  300

 

  3600


BATAAN
 

F6F-5

   4

  400

 

  1600

TBM-3

   7

   0

 

    0

二艦所属航空機の機銃弾数合計
 

  7800
 

 2400
 

  10200
 


















 
 これによると、大月周辺に来襲した二艦に所属する航空機だけで0.5インチ機銃弾が7,800発、20ミリ機銃弾が2,400発、合計すると10,000発以上も発射されたことになる。二種類の銃弾が使用されたことについては、残された薬莢もこの二種類のものであることからも疑う余地は無い。
 爆弾数と同様に、モントレーの飛行隊群がこれに加わることによって数字が変化してくる。次の通り、モントレーの表を作成した。














 


母艦
 


 機種
 


 機数
 

1機あたりの銃弾数


   合計
 

   .50

  20MM




MONTEREY
 


F6F-5
 


   8
 

50

   400



 

400

    3200

TBM-3

   9

   300

 

   2700


合計

 

min
       max

 


  17

 

3100

   5900
 




 

3100

    5900
 














 
 これからわかるように、全機が最大の弾薬を搭載し、全弾発射したとすると、0.5インチ機銃弾が5,900発加わることになる。
  

*1 ESSEX ACTION REPORT
USB-6 R11 1317-1352
Commander Carrier Air Group 83.
Report of air operations conducted by Carrier Air Group 83 during the period 2 July - 15 August 1945 Includes a Map
*2 AIRCRAFT ACTION REPORT
ESSEX
USB-6 R11 1677-1681 45/08/13 USS Essex
Mission: Attack Tokyo Shibaura Electric Company #1
Target: Industrial Building, Location Uncsrtain(Tokyo)
*3 AIRCRAFT ACTION REPORT
BATAAN
USB-6 R3 0128-0132 45/08/13 USS Bataan
Mission: Bomb Tokyo Shibaura Electric Co.(Target 496)
Target: Factory Vicinity of Atsugi (Kanagawa) Factory Vicinity Hachioji or Atsugi (Tokyo, Kanagawa) Obitsu Dock Area (Chiba) Niijima
*4 AIRCRAFT ACTION REPORT
MONTEREY
USB-6 R20 0285-0371
*5 *は不明瞭なため判読不能な文字である。文脈から類推して< >内に適する語を入れた。
*6 ESSEXのレポートでは、BATAANのTBM-3が9機となっているが、BATAANのレポートでは、7機である。集計の際は、BATAANに記載されている数字を使用した。
*7 lb は重量の単位であるポンドを表す記号であり、0.4536kgに相当する。250lbは、約125kgに換算される。
*8 大月周辺上空に来襲した航空機の数である。
*9 単位はインチである。0.5インチ、日本では経12.7mmの機銃弾に相当する。

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